奥田敏輝   おくだ・としてる  (奥田敏)

高校時代に大阪大会準々決勝で江夏がエースの大阪学院を1-0で完封したが、大阪大会準優勝で終わった。
林投手コーチの指導によってスリークォーター投法に改造し、69年のウエスタンリーグ(1年間60試合)で15勝の好成績を上げた。 得意球はシンカー。
初めての一軍昇格後サンケイ戦でロバーツに二回連続本塁打を打たれ、ノイローゼになった事が後々影響したと江夏は語っている。 


1949.1.2生
出身地  大阪府
出身校  桜塚高校
投手 右投右打

66年 部員16人の桜塚高校時代はエースで4番
    大阪大会6試合連続完封 58.1イニング連続無失点を記録し、大阪大会決勝敗退
    明治大学進学の話もあったが、江夏が入団したので66年第一次ドラフト3位で阪神入団 

67年 阪神タイガース 背番号30 
68年 7試合 4.09 4月9日神宮でのサンケイ戦でプロ初登板
69年 背番号13に変更 2試合 0.00 ウエスタン最多勝(15勝)
70年 
71年 背番号32に変更
72年 背番号48に変更 退団

商社勤務後
大阪市都島区で水道設備業「奥田設備工業所」経営 

実働2年 登板9試合 勝利0 敗戦0 投球回13.2 奪三振12 防御率3.21


げんまつWEBタイガース歴史研究室