「弱肩・鈍足・三振」が売り物の名物キャッチャー。
タイガースでは出番がなく移籍、セネターズ時代の39年40年に2年連続東西対抗に出場。
通算281三振、大振りの三振は一発長打の裏返しでもあった。
色黒のマスクから愛称「クロちゃん」。引退後はセリーグ審判員としておなじみ。
1916.10.21生
出身地 愛知県岡崎市康生町
出身校 岡崎中学
捕手・外野手・一塁手 右投右打
岡崎中学の黄金時代を 投手・高塚誠治(プリンスホテル監督=稲葉誠治)とのバッテリーで作り上げた
35年 愛知県大会決勝敗退 4番捕手
36年春 大阪タイガース 背番号19 2試合 3打数1安打 オフに新球団イーグルスへ移籍
37年 イーグルス 北浦と併用され、北浦応召後に正捕手となる
38年〜43年 セネターズ→翼→大洋→西鉄 39年40年東西対抗出場
44年 巨人
50年 愛知産業 選抜都市対抗出場
セ・リーグ審判員として、プロ球界復帰
62年 4月18日逝去
実働9年 出場495試合 打数1536 安打262 本塁打12 打点112 盗塁3 四死球161 三振281 打率.171