現役時代は捕手として野村克也の控えだった。74年には66試合出場で133打席に立っており、野村の控えとしては出場した方だと思う。
コーチとしては優秀で、常時各球団から引っ張りダコの状態。特に00年には阪神野村監督対策として読売に招聘されるなど、情報戦の主体ともなっている。
阪神では82年の審判暴行事件が大きく取り上げられた影響で、その能力よりも暴力イメージが強い。
暴力の肩を持つわけではないが、あの鷲谷審判のジャッジは初歩的なミスジャッジであったと記憶している。柴田は島野コーチと鷲谷審判と岡田球審に暴行を加えたため、出場停止処分となったのだ。
1944.8.11生
出身地 和歌山県和歌山市
出身校 向陽高校
外野手→捕手 右投右打
63年〜75年 南海ホークス テストで合格 70年台は野村の控え捕手 金銭トレードで広島に移籍
76年 広島カープ 現役引退
77年〜81年 広島 コーチ
82年 阪神タイガース バッテリーコーチ 背番号87 柴田島野事件
83年 バッテリーコーチ
84年 バッテリーコーチ 退団
85年〜88年 南海 コーチ
89年〜90年 オリックス コーチ
91年〜92年 福岡ダイエー コーチ
94年〜95年 ヤクルト コーチ
96年 阪神 チーフ兼バッテリーコーチ 背番号71 9月13日から監督代行
97年〜99年 中日 フロント
00年〜 読売 運営部嘱託スタッフ
実動11年 出場209試合 打数209 安打45 本塁打1 打点24 盗塁3 打率.215