左投手で1年目に11勝したが、肩を痛めた事もあって打者転向した。打者としては大学時代から評価が高い。
藤村冨美男の次世代の4番打者でアベレージタイプの左打者、首位打者1回。
1928.2.11生
出身地 茨城県下館市
出身校 下館商業 日本大学
投手→外野手 左投左打
47年 日大では投手、47年秋に打率.425で東都大学首位打者
49年 富樫代表の説得によって日大を中退し、大阪タイガースに入団
49年 大阪タイガース 背番号28 34試合 11勝7敗
50年 背番号6に変更 6試合 1勝2敗 3月16日国鉄戦で9回2死まで完全試合 この後、肩を痛める
51年 5試合 0勝1敗
52年 背番号22に変更 5試合 0勝2敗 打者転向 94試合 190打数で.247
53年 80試合 .233
54年 125試合 .300 で5番センターのレギュラーを取る
55年 117試合 .288 4番センター オールスターファン投票で出場
56年 126試合 .300 4番センター ベストナイン オールスターファン投票で出場
57年 110試合 .308 4番センター ベストナイン オールスターファン投票で出場
58年 120試合 .320 首位打者 4番センター ベストナイン オールスターファン投票で出場
A級10年選手 オフに大毎に移籍
59年〜63年 大毎オリオンズ アベレージヒッターとして山内の前 1〜3番を打つ
68年〜69年 中日ドラゴンズ 打撃コーチ
70年7月〜73年7月 松木謙治郎に誘われて東映フライヤーズコーチ 代理監督から3年間監督をつとめた
73年は日拓ホームフライヤーズ
74年〜 TBS解説者
81年 第一回田宮杯 中学野球大会開催 (以後毎年)
88年 阪神タイガース ヘッドコーチ 背番号70
阪神タイガースOB会長を長期にわたり務める
94年 台湾 味全ドラゴンズ監督就任
00年 下館市会議員
10年 5月5日脳内出血のため他界
打撃 実働15年 出場1488試合 打数4807 安打1427 本塁打106 打点597 盗塁190 打率.297
投手 実働4年 登板50試合 勝利12 敗戦12 完投10 投球回206 奪三振76 防御率4.85
監督 通算3年 出場385試合 勝利155 敗戦209 引分21 勝率.426