日本大学卒業後一旦教師となるが、野球の魅力が忘れられずライオンズの入団テストを受けた経歴を持つ。
実働6試合はすべて阪神時代の74年と75年で敗戦処理のリリーフだった。横手からのクセ球が武器だが制球難と言われた。
1948.11.23生
出身地 佐賀県
出身校 伊万里高校 日本大学
投手 右下投右打
日本大学では佐藤道朗(南海)の控え投手
70年 教職となるが、入団テストに合格し、ドラフト外で西鉄に入団
71年〜72年 西鉄ライオンズ 登板なし 金銭トレードで阪神に移籍
73年 阪神タイガース 背番号41
74年 3試合登板 初登板は4月30日中日戦
75年 3試合登板 (W 7勝4敗)
76年 登板なし
引退後、スポーツ用品会社に勤務
99年 国際協力事業団(現・国際協力機構=JICA)の派遣でアフリカ・ガーナで野球指導した
03年 4月 野球の普及を夢に退社
03年 10月 アサヒビールチャレンジ・アジア野球選手権2003にパキスタン監督として出場
07年 タイ・ナショナルチーム 投手コーチ
実働2年 登板6試合 勝利0 敗戦0 投球回9 奪三振1 防御率3.00