4月29日からの5日間、甲子園球場で大阪大会と称する最初の6球団の総当りリーグ戦が行われた。その名も「第一回日本職業野球リーグ戦」 巨人は渡米中だったが、職業野球各チームはすでに体制が整い連盟もできたので巨人抜きで旗揚げ興行を行う事にしたのだ。 不参加チームがある(巨人)ので、この大会の順位はあるが優勝を決めてはいない。すべての個人記録はこの大会からスタートする。巨人には非常に気を使う。
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4月29日 金鯱戦 タ軍 0 0 0 2 0 0 0 1 0|3 藤村○−小川 金鯱 0 0 0 0 0 0 0 0 0|0 古谷● 内藤−広田 4月30日 名古屋戦 タ軍 12 1 0 0 0 2 2 0 0|17 若林○−小川 門前 名古屋0 0 1 0 0 0 2 0 0|3 牧野● 桜井−鈴木秀 5月1日 阪急戦 タ軍 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 |2 藤村●−小川 阪急 0 0 2 0 0 0 0 0 0 1X|3 北井○−倉本 5月2日 大東京戦 大東京1 1 0 0 1 0 0 1 0|4 大友● 桜井−筒井 タ軍 0 0 2 0 1 6 0 0 X|9 若林○−小川 5月4日 セネタース戦 セ軍 0 0 0 1 1 2 0 0 1|5 野口○−北浦 タ軍 1 0 0 0 1 0 0 0 1|3 藤村● 若林−小川 藤井1号 |
タイガースとしては初物尽くしの5日間でした。 ・4月29日 チーム公式戦初勝利 初の勝利投手は藤村富美男 ・4月30日 11連続12得点を記録 ・5月1日 チーム公式戦初敗戦 初の敗戦投手は藤村富美男 初のサヨナラ負け ・5月2日 初のX勝ち ・5月4日 初の本塁打はプロ初本塁打 藤井勇のランニング本塁打 初の投手リレー |
阪急とセネタースに敗れての3位、特に試合前に石井・細野両人から「どこに負けてもよいが阪急にだけは負けるな」との指示があったにもかかわらず、本拠地・甲子園で阪急に破れた事は大きな問題となった。試合後、森監督と松木主将は球団事務所に呼び出され、電鉄の石井専務・細野支配人から敗戦の原因を追及された。
阪急戦は藤村をたてたが、阪急もエース北井を立てた。藤村は大きなドロップで好投したが、打線が北井の高速スライダーに沈黙。延長10回の平桝敏男の失策でサヨナラ負けした。この敗戦が後々森監督更迭の引き金となった。
よくよく考えてみれば北井は最初はタイガースと契約したのに電鉄の横槍で阪急に入団した投手なのだから、敗因は電鉄本社にあったのかもしれない。タイガースが阪急に負けられない以上に、北井はタイガースだけには負けられなかったのだと思う。
藤村はこのシリーズで3試合に投げた。2戦目の10回までの力投がたたり、セネタース戦の6回に疲れが見えたところをたたかれた。
5月9日(藤井寺) 4月26日名古屋鉄道局との前座試合で負けたため、再試合を行った。さすがに気をゆるめる事なく2連勝した。
タ軍 10−1 名古屋鉄道局 藤村○
5月10日
タ軍 13x−3 名古屋鉄道局 菊矢○ 藤村 本塁打 藤村(藤村の非公式ながら1号)
参考文献
阪神タイガース昭和のあゆみ (阪神タイガース 1991年)
大阪タイガース球団史 (松木謙次郎・奥井成一 ベースボールマガジン社 1992年)
真虎伝 藤村富美男 (南万満 新評論 1996年)
七色の魔球 回想の若林忠志 (山本茂 ベースボールマガジン社 1994年)
朝日新聞 縮刷版 (1936年)
大阪朝日新聞 (1936年)