愛媛のタイガース遠征史


愛媛県にタイガースが初めて遠征したのは戦前の1940年です。

 1940年1月11日 オープン戦  タイガース3−0南海

道後球場は戦前の松山を代表する球場でした。
「久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも」など多数の俳句・短歌を読んだ野球の名付け親、正岡子規の故郷が松山です。子規が松山へ帰郷した際、後輩の中学生に野球を伝えたのが愛媛での野球の始まりでした。その愛媛県に始めて出来た本格的な野球場が道後球場でした。
道後温泉本館の北側「祝谷1丁目」にあり、戦前の高校野球の県大会など名勝負を見せた球場でした。

戦後、読売が食糧難の東京を離れて松山でキャンプを張った時の事は有名です、松山中学のグラウンドと並び道後球場が使われました。往年の道後球場の写真が松山の野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」に展示されていました。
げんまつブログ訪問記
新居浜市 住友鉱山の町、新居浜の住友のグラウンドで試合を行った記録が山陽新聞48.12.18にありました。

 1948年12月16日 タイガース1−3南海  新居浜星越球場

新居浜市はオリックスの準フランチャイズとなっていた時期があり、タイガースのファームがウエスタンリーグの試合を行った事があります。
1948年に完成した松山市民球場(松山総合球場)は、その後の半世紀 松山市の主力球場としてプロ野球の興行に使われました。(大映スターズのキャンプ地でした) 
訪問記
 1948年12月17日 オープン戦 タイガ−ス6−0南海 勝 若林
              本塁打 玉置2本

オープン戦はこのほか
 1960年3月6日 オープン戦 タイガース8−1近鉄  勝 井崎
 1960年3月6日 オープン戦 タイガース3−2近鉄  勝 石川
 1961年2月25日 オープン戦 タイガース9−5東映 勝 梅本
 1961年2月25日 オープン戦 タイガース5−7大毎 敗 土井
 1961年2月26日 オープン戦 タイガース2−15大毎 敗 高橋
 1995年3月21日 オープン戦 タイガース3−6広島 敗 山崎
              本塁打 亀山・クールボー

公式戦は2試合
 1949年8月12日 タイガース10−6大陽  勝 田宮  負 真田
              本塁打 田宮1号 藤村富31号
 1950年4月30日 タイガース16−6大洋  勝 御園生 敗 今西
              本塁打 後藤2・3・4号 安居1号 櫟1号

1952年5月に完成した今治市営球場でも、4度タイガースのオープン戦が興行された。(写真

 1958年3月4日 オープン戦 タイガース6−5巨人  勝 松浦
 1962年2月27日 オープン戦 タイガース2−5近鉄 敗 牧
 1962年3月9日 オープン戦 タイガース1−3巨人  敗 ブラウンスタイン
 1983年3月29日 オープン戦 タイガース0−11近鉄 敗 大町

なお、今治では1948年12月17日にオープン戦が企画されていましたが、松山開催となりました。(山陽新聞1948.11.24)

松山坊ちゃんスタジアム

本格的なベースボールスタジアム、坊ちゃんスタジアム
初めての公式戦は2003年の2連戦だ。
 2003年5月24日 タイガース3−5ヤクルト  敗 ムーア  勝 佐藤秀
             本塁打 アリアス11号
 2003年5月25日 タイガース6−4ヤクルト  勝 安藤  敗 河端 
         先発藤川が4回までに4失点も8回金本の2点2塁打で逆転

プロ規格の立派な球場で、以後毎年のようにヤクルトか広島主催で公式戦が開催されている。

航空写真
国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/
坊ちゃんスタジアム : 国土地理院撮影の空中写真(松山2006年撮影)

参考文献(道後球場の位置特定)
 国土地理院 昔の都市図(愛媛)

2006年12月制定
2008年2月改訂

げんまつWEBタイガース歴史研究室