京都市のタイガース球場史


西京極野球場 訪問記
1934年に設立、職業野球が始まった頃から使用されている京都を代表する野球場で、現存するプロ野球の野球場(50試合以上)としては甲子園・神宮などについで古い。
西京極より古い球場は地方に10程度現存するが、いずれも現在ではプロの使用に耐えれない。西京極ではさまざまな古さがあれど2005年までプロ野球を行っていた。
1074年航空写真では両翼にラッキーゾーンがある。後楽園球場完成までに建てられた球場なので、そもそも両翼100m、右中間左中間114m、中堅117mと国際規格なみの広さを誇る。東京ドームよりやや両翼が広く中堅が3m狭い程度なので東京ドーム並みのグラウンド規模と言ってよい。
タイガースはさまざまな試合を行ってきたがとにかく雨天中止が多かった野球場だ。
阪急西京極駅が写真右に写っている。阪急電車の駅前で便利な立地、かつては阪急ブレーブスの準フランチャイズだった事もある。
現在、阪神タイガースが試合を行うと満員になってしまうが、指定席販売の問題や座席の安全性で他の野球場に劣るため、2006年より西京極での試合開催はなくなった。

衣笠球場。 訪問記
1954年に立命館大学の野球場として整備された。
写真は1974年、中央の空き地と上の体育館などの場所が衣笠球場の跡地で、その下側には立命館大学の学舎が並んでいる。
写真右上のバスターミナルが京都市バス「立命館大学」停留所。
阪神阪急南海の電鉄連合に大阪を追われた田村駒球団の仮のフランチャイズがGHQに抑えられていた西京極ではなく衣笠だった。京都日日新聞と提携した大陽ロビンスの試合を中心に組み、1952年には松竹ロビンスの正式なフランチャイズ球場となった。
しかしながら、関西のほかの球場が電車の駅の近くに作られたのに対して衣笠はあまりにも不便だった。衣笠をフランチャイズとしたために客足が伸びず球団経営が極端に悪化し、球団売却という皮肉な結果につながった。
せめて便利な西京極であれば、と思われた。


制定:2002年 
改訂:2008年
国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

げんまつWEB タイガース歴史研究室