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大阪球場
南海ホークスのホームグランドだった大阪ミナミの難波駅前にあった球場だ。
1950年1月に工事を開始し、同年9月に竣工。両翼88m、センター115.8mという規模だった。プロ野球は50年9月17日の阪急−近鉄戦と南海−大映戦のダブルヘッダーだった。
甲子園のナイター設備は1956年使用開始だったが、大阪球場では1951年7月からナイター設備が使用できた。このため、準本拠地だった松竹戦を中心に、多数のタイガース戦が開催された。タイガース戦は1950年10月3日の松竹戦を皮切りに104試合の公式戦、日本シリーズ3試合が行われた。
50年 7試合(松竹3 中日1 読売1 西日本1 国鉄1)
51年 13試合(松竹5 名古屋3 広島2 国鉄1 大洋1)
52年 10試合(すべて松竹戦)
53年 17試合(洋松9 国鉄3 広島2 読売2 名古屋1
54年 28試合(洋松11 中日7 広島5 巨人4 国鉄1)
55年 29試合(大洋11 中日8 巨人4 国鉄4 広島2)
64年 10月4・5・6日 日本シリーズ第3・4・5戦(南海戦)
この球場では、ナイターにまつわる大阪球場事件がおこり、阪神の放棄試合となった54年7月の中日戦があった。(リンク:大阪球場事件)
1990年野球場としての使命を終えた大阪球場は住宅展示場やミュージカル劇場に使用されたのち、1998年から解体された。この場所は大阪ドームを建設する候補地にもなりましたが、南海電鉄の反対で実現しなかった。
現在、跡地は複合商業施設「なんばパークス」となっている。
大阪球場のマウンドとホームベースがあった場所位置には埋め込みの記念プレート(写真上)が設置されている。また、7階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」があり、往年のホークスをしのぶ展示場となっている。
南海電鉄がホークスの親会社でよかったと、これを見て思います。 |
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