古関裕而氏は1909年福島市生まれ。福島商業を卒業した東北人だ。学校を卒業してからは川俣銀行に勤務。1930年、日本コロムビアに作曲家として入社した。 1936年、大阪タイガースが日本コロムビアに球団歌を発注した事から、古関先生がタイガースの球団歌を作成する運びとなった。 コロムビアに入社後すぐに早稲田大学の有名な応援歌「紺碧の空」(1931年)を作曲している。当時の早稲田が強かったために、「紺碧の空」の作曲者として名が売れていた影響とみる。コロムビアに在籍していた名投手の若林忠志を引き抜くために球団が依頼したとか、細かい説もいろいろあるが明確ではない。 同じコロムビア所属の作詞家・佐藤惣之助が書き下ろした詞に曲をつける形で作曲された。 ちなみにコロムビア時代に古関・佐藤の組み合わせで作った曲は判明しているだけでも27曲を超える。 初版のレコードはコロムビア所属の歌手 中野忠晴が歌った。中野は30曲以上の古関作品のレコーディングに参加している。 |
|
福島市出身の古関先生を記念する「古関裕而記念館」が福島市入江町、福島市音楽堂の敷地内にある。 館内には古関先生にまつわる展示が1〜2階に並べられている。 スポーツファンには「不滅のスポーツ音楽」というテーマのビデオが必見であると思う。 入館料200円。 主な作品として 紺碧の空(1931年) 都市対抗野球行進曲(1934年) 栄冠は君に輝く(1948年) 長崎の鐘(1959年) 巨人軍の歌 〜闘魂こめて〜(1963年) オリンピック・マーチ(1964年)などがある。 阪神と巨人の球団歌は同じ作者が作ったという常識クイズがある。 巨人軍の歌 〜闘魂こめて〜が有名だが、実は巨人軍は1939年に「野球の王者」という曲があり、そちらが古関裕而と佐藤惣之助の作品、すなわち六甲颪とまったく同じ作者で作られた曲だが、作曲家だけが同じ「闘魂こめて」とクイズで回答が混同する例をよく見る。 |