六甲颪で知られる大阪タイガースの歌を作詞した詩人は佐藤惣之助。 明治23年12月3日生まれ。 六甲颪を作詞した詩人なので関西人と思いがちだが、川崎宿の上本陣佐藤家が生家という生粋の関東人。川崎駅前にある川崎信用金庫の西側に佐藤惣之助生誕の地がある。そこから川崎球場へと向かう間にある公園などでも佐藤惣之助の歌碑をいくつか見ることが出来る。 大正から昭和初期の詩壇にて活躍した詩人にして朱玉の作品を世に送り、「詩の家」を主宰して多くの後進の指導にあたったと言われている。 俳句・歌謡・小説・随筆にも多彩な才能をみせており、「赤城の子守唄」「人生劇場」「青い背広で」「男の純情」「すみだ川」など今なお愛唱される不朽の名作をこの世に残している。 歌謡の仕事をこなす上で所属していた川崎コロムビア時代に新しく始まる職業野球の大阪のチームから球団歌の仕事を請けた。 完成した詩に古関裕而が曲をつけた。 |
|
六甲颪に颯爽と 蒼天駆ける日輪の 青春の覇気美しく 輝く我が名ぞ大阪タイガース オウオウオウオウ大阪タイガース フレフレフレフレ 闘志溌剌起つや今 熱血既に敵を衝く 獣王の意気高らかに 無敵の我が名ぞ大阪タイガース オウオウオウオウ大阪タイガース フレフレフレフレ 鉄腕強打幾千度び 鍛えてこゝに甲子園 勝利に燃ゆる栄冠は 輝く我等ぞ大阪タイガース オウオウオウオウ大阪タイガース フレフレフレフレ 全国を渡り歩いたと言われる佐藤惣之助は甲子園に来たのだろうか? 六甲颪は海風の甲子園には吹かないわけだし現場に来て書いたとは思えない。 だが、佐藤惣之助は16歳の頃に佐藤紅禄の秋聲会の同人になっている。佐藤紅禄は甲子園の近くに住んでいたのだから甲子園を知らぬわけなく、巨大な球場のイメージで作詞したと言う事だろうか。詳しいことは知られていない。 |