猛虎偉人伝1

初代巨人キラー 西村幸生  その1


西村幸生投手については、様々な文献で名前が見る事が出来る。すばらしい投手で野球殿堂入りしているにもかかわらず、後世のファンには印象が薄いのだ。実働が短すぎて謎なのだ。「酒仙投手」というニックネームが有名すぎるためか、酒飲みのイメージが強すぎるようだ。
西村投手の通算成績は実働3年、112試合で55勝21敗 防御率2.01となっている。わずか3年で55勝なのだから、200勝投手のペースと変わらないのだ。西村投手の出身は三重県の宇治山田、現在の伊勢市です。

猛虎歴研に遊びに来ていただいた「ぼらかねさん」という三重県伊勢市の熱心なタイガースファンの方がおられます。同郷の西村投手に熱い思いをもたれているようで、私に多くの情報を寄せていただきました。ぼらかねさんに頂いた資料「凪」に目を通すうちに、西村投手の特集を組んでみようという気になりました。題名は「酒仙投手」ではなく「初代巨人キラー」です。

まずは野球体育博物館「The Baseball Hall of Farm & Museum」野球殿堂入り選手の紹介記事から抜き取って見ましょう。
〜三重・山田中を卒業後、実業団の愛知電鉄でプレーした後、関大に入学。1932年春〜33年秋の4連覇。32年の秋には東京六大学の早慶明法立をことごとく破り、その名をあげた。37年にタイガース入団。その秋に15勝、防御率1.48の成績(ともに1位)でタイガースを巨人との年度優勝決定戦に導いた。ここで西村はあの沢村栄治と2度投げ合って2勝。さらにスタルヒンにも投げ勝って3勝を挙げ、タイガース「日本一」の原動力に。
スピードはないがコントロールが抜群で、打者の狙いを巧みにはずした。酒を愛し「酒仙投手」の別名があった。39年限りでサッと退団、満州(現中国東北部)に渡った。現地で応召、44年戦死。三重県出身。

ここに書いてある事とほぼ同等の内容がどの本を読んでも書いてある。
酒仙投手(主戦投手をもじった)は必ず書いてあるのだが、水島新治の漫画「あぶさん」の景浦安武ほどに泥酔してプレーしていたとは思えない。酒好きという程度のものであろうと思われる。酒を飲んだ翌日は必ず早起きしてランニングし、アルコールを抜いていたそうであるから。
私が興味をもった点は
1.アマチュア時代の複雑な経歴
2.剛球投手だと思っていたのにスピードはないと記されていること。
3.サッと満州に行ったこと
4.戦死したこと
5.沢村のライバルのようであるが、投げ勝ったのに沢村より無名なこと。
以上です。

これらについては「ぼらかねさん」の伊勢系の資料に頼りましょう。
「初代巨人キラー」は95年かのう書房より刊行されて現在絶版。著者の中村博男さんは宇治山田の出身ですので、同郷のヒーローに憧れを持たれています。
もう一冊は「凪 創刊号2000夏」月兎社 これは伊勢地方のローカル雑誌です。
この2冊に共通しているのは、どちらも地元が書いた地元のスターの本という事ですね。多くの本よりも西村投手に対して多大な愛情が感じられます。いい文献です。

タイガースのエース西村幸生と読売のエース沢村栄治をそろって扱っている点、実は二人とも伊勢出身なんですね。私は気にとめていなかった事ですが、伊勢の方では有名なようです。
よくよく考えれば、プロ野球創世記に東と西のエースが同郷であったとは不思議なことですよね。伊勢市の倉田山公園・伊勢市営球場に沢村・西村の2体の銅像があります。球場入口の扉の前にある沢村像の方が古く、1973年に建立されたそうだ。沢村像の道路を正面に西村幸生の像が建てられたのは1975年だった。
沢村の像の除幕式には多くの巨人OBが駆けつけたが、西村像の除幕式には親友の松木謙次郎氏、バッテリーを組んだ田中義雄氏しかいなかったと言う。沢村は在籍中に戦死したが西村は退団してから戦死したためだろうが扱いが違う。それゆえ、タイガースは冷たいと言われたものだった。


その2に続く

げんまつWEBタイガース歴史研究室