担当者定義 トレーニングの草分け 雑学
名鑑: 50年代〜60年代 70年以降のトレーナー トレーニングコーチ コンディショニング・リハビリ担当
トレーニング系の担当者は様々な役職があるようだ。私は細かい球団内の規定を知らないが、
なんとなく分類すると
トレーナー:高度な技術を持ち、メンテナンス・故障防止・メディカルチェックなどを行う担当者
トレーニングコーチ:高度な理論を持って、体力強化・肉体強化を行う担当コーチ
コンディショニング担当:コンディショニング分析や計画を担当する事務方
リハビリ担当:故障者のリハビリを担当する → アスレチックトレーナーの仕事に変化
だと思っています。
1937年 神戸YMCAの松葉徳三氏が球団史に残る最初のトレーニング指導者として選手の体力作りに取り組んだ。37年は体力的に劣る中学卒の新人選手が沢山いたのだが、彼らを使っていかねばならなかった。全員の体力強化に取り組み、その結果全員が石本監督のスパルタ練習に絶えうるだけの体を作れた。春季練習では一人のリタイア者も出なかったと言う。記録では翌年も松葉氏のトレーニングが実施されたようだ。
55年頃〜63年頃 石渡俊一氏がトレーナーを勤めた。活動は現在のトレーニングコーチのような形であったようだ。
62年は和田恒雄トレーナーが入団、63年頃には稲村実トレーナーが在籍している。
63年 高知キャンプには三段跳びのゴールドメダリスト、南部忠平氏が臨時トレーナーとして同行した。
64年〜69年 篠田仁氏がトレーニングコーチとして在籍
69年〜07年 猿木忠男氏 チーフトレーナー
70年〜 杉田由嗣氏
70年代 杉田由範氏
79年頃〜82年頃 上出清司氏
82年〜99年 長島裕二氏
83年〜95年? 森明彦氏
88年〜 常川達三氏 08年〜チーフトレーナー
90年代 河野清隆氏
92年 辻和哉氏 臨時トレーナー
93年〜95年 04年〜 石原真司氏 08年〜チーフトレーナー補佐
93年頃〜01年 熊原稔氏
95年〜05年 谷一郎氏
99年〜 杉本一弘氏
02年〜 小滝康樹氏
03年〜08年 伊藤雅浩氏
05年〜 山下幸志氏
05年〜07年 桧作英太氏
07年〜 権田康徳氏
08年〜 弓岡尚幸氏
08年〜 伊藤健治氏
08年〜 手嶋秀和氏
09年〜 中務正幸氏
75年〜80年 中川卓爾コーチ
80年〜90年、01年〜02年 中山悌一 コーチ
79年〜88年、91年〜93年 切通猛コーチ
82年〜96年 山本晴三コーチ
93年〜 続木敏之コーチ
96年〜00年 石原真司コーチ
03年〜04年 前田健コーチ
05年〜06年 福田厚治コーチ
06年〜 伊藤敦規コーチ
91年〜00年 中山悌一
93年〜94年 辻和哉(臨時)
01年〜03年 石原真司
変わり種というか、有能な人材が通訳として入団するケースが見られる。もちろん通訳としての採用であるから、トレーナーとして選手と接する事は禁じられている。
阿部井寛氏は通訳としてタイガースに入団したが、翌年からヤクルトのコンディショニング補佐に就任した。河島徳基氏も米国の大学院で2年間トレーナーの勉強をしてからタイガースの臨時通訳に就任した。
彼らに共通するのは、夢(トレーナーになる事)を追う手段として通訳のバイトに就任し、プロ野球界の空気をつかもうとする姿勢である。