入団投手はチームで一番脚が速く、打撃もいいとして期待されたが、ケガで引退を早めた。
引退後は日本新薬を率いて都市対抗で名を残し、母校東山高校を率いて甲子園に戻ってきた。
1928.5.17生
出身地 大阪府
出身校 東山中学 同志社大学
捕手 右投右打
櫟信平の2年後輩にあたる
同志社大を中退して大阪タイガースに入団
50年 大阪タイガース 背番号14 12試合 18打数 3安打 .167 肩・腰を痛める
51年 4試合 1打数 .000 故障のため引退
57年〜 日本新薬監督兼選手 57年58年59年都市対抗出場
61年〜 日本新薬監督 都市対抗5回出場
88年〜 東山高校監督 92年93年春甲子園出場
佛大総監督
こどもの日野球教室講師(99年・京都)
実動2年 出場16試合 打数19 安打3 打点1 打率.158