小川年安 おがわ・としやす
同期の平桝と共に広陵中から慶大へ進んだ東京六大学野球のスター選手。大学では日本選抜チームの捕手を務めた。
誰もが打てなかった沢村をカーブを狙いの右打ち「大根切り打法」に徹する事で攻略した。
すばらしい選手だったそうだが、わずか一年で戦場に向かった。
1911.1.1生
出身地 広島県
出身校 広陵中学 慶応大学
捕手 右投右打
27年 春夏連続甲子園出場で共に準優勝 田部武雄(殿堂入り)とバッテリーを組んだ
28年 八十川胖(明大)とバッテリーを組み春夏甲子園出場 初戦敗退
29年 春の選抜甲子園に佐々木美利とバッテリーを組み出場 14打数8安打と活躍し、準優勝に貢献した
35年 12月20日 佐々木政氏の斡旋により大阪タイガースと契約・入団
36年 大阪タイガース 背番号2 3番打者として活躍
37年 1月応召、東京中野の第一電信連隊へ のちに中国で戦死
実働1年 出場42試合 打数152 安打42 打点30 盗塁8 犠打5 四死球30 三振14 打率.342
げんまつWEBタイガース歴史研究室
|