大館勲   おおだて・いさお

柔道家として、兵庫県警で師範を勤めながら全京都でプレーしている時に怪力を買われて31歳で入団。
ハワイ生まれの日系二世 98kgの巨漢柔道家。  毎日で「代打ホームラン」といえば大館。
平安中学のOBで野球をやった時に特大本塁打を放ち、それをきっかけにプロ野球への道が開ける。若林監督のラインで入団した。


1917.4.9生
出身地   米国ハワイ
出身校   マッキンレー高校 平安中学 京都武道専門学校
ノンプロ  全京都
一塁手 右投げ右打ち

48年 全京都の3番1塁手として都市対抗に出場

49年 大阪タイガース 背番号1  42試合 80打数17安打4打点 .213   大館−徳網交換トレードで毎日に移籍

50年〜55年 毎日オリオンズ(50年勲夫に改名) 主に代打で222試合出場 13本塁打 48打点
  52年の平和台事件「史上最悪の遅延行為−日没ノーゲーム」 西鉄ファンに一人で謝った
  54年〜主将

引退後、日米野球界の懸け橋となり、ロス五輪前には、ソ連(当時)の参加の意向を探るためロサンゼルス・ドジャースのピーター・オマリー会長の頼みを聞いた松前重義・元東海大総長の特使としてモスクワ入り。当地の体育委員会議長と直談判に及んだこともある

実働7年 出場264試合 打数380 安打96 本塁打13 打点52 盗塁1 打率.253


げんまつWEBタイガース歴史研究室