甲子園球場は川底だった証拠

甲子園探訪へ


昔、甲子園が川底であり、実際にそこに川があった事。歴史の項で書きましたが。
阪神電車の線路を見てみるとよくわかります。
写真は甲子園駅の東側徒歩数分の場所で、70年代の名投手・上田二郎さんの家がある所です。武庫川方面から地上を走っていた阪神電車はこの位置から甲子園駅に向かって急勾配を登ります。
ここは旧枝川時代からの名残で、線路が枝川橋梁の高さまで上がるのです。
甲子園駅の所では線路が高架になっていますが、わざわざ高架にしたのではなく、道路は昔の川底の高さを走っており、線路は昔の枝川橋梁の高さの場所にあるのです。そのため、甲子園駅の東側にはこのような勾配が出来ています。
勾配を上りきったところには昔の築堤の名残があります。ここは甲子園駅北東の駅から20m程の場所です。
写真中央部で草の生えた急勾配の所が昔の土手です。阪神電車はこの土手に上がるために勾配を登ったのでした。すでに築堤の残骸は阪神電車の駅周辺にしか見られません。甲子園球場ではコンクリートや築堤を築くのに土に困らなかったと言われています。これだけの高さの築堤をすべて崩して使用したのならば納得できる話です。夏までの数ヶ月の突貫工事で甲子園を建築したとしても、コンクリートの砂には困らなかったでしょうね。
旧枝川の跡は甲子園駅前から国道2号武庫川橋梁の北側(甲子園ホテルあたり)のあたりまで、大きく曲がった県道となっています。

制定:2003年4月8日

げんまつWEBタイガース歴史研究室