初めてタイガースが高知球場にやってきたのは戦前の1940年。
1940年1月10日 高知球場 オープン戦 タイガース0−13南海
<1961年高知キャンプ>
他球団が温暖な地でキャンプを行う時代になっても、タイガースは寒い甲子園で毎年キャンプを行っていた。
1961年、毎年高知球場でキャンプを行っていた阪急が完成したばかりの姫路球場でキャンプを張る事になった。そこで、巨人から来た藤本コーチの意見で、空いた高知球場を使ってキャンプを行う事にした。
2月頭から投手は川崎グラウンド、野手は甲子園にて体作り重点のトレーニングを行い、2月7日に陸路で高知入りし、松島旅館にて合宿した。
高知球場で61年、62年、64年と3度キャンプを行った。この3年間でタイガースは2度優勝した。これによりキャンプは単なる合宿という意味を超え、暖かい土地でキャンプを張る事の意義を球団が理解した。63年からの安芸市とのタイガータウンの建設調整へと向かう方向付けになった。
その後、阪急ブレーブスが長年高知球場をキャンプ地として使用したため、安芸のタイガースと毎年恒例のキャンプ明けオープン戦を行う事になった。
その最初の試合は 1967年2月26日 オープン戦
タイガース3−4阪急 敗 平山
|
|
南海ホークスが高知県でキャンプを行っていた頃、キャンプ地で試合をして欲しいとの地元からの要望があって高知・安芸でキャンプを張っているタイガースとオープン戦が組まれた。南海がキャンプを張って3年目のこと。場所は大方町(現在の黒潮町)の大方球場。土佐西南大規模公園の東端にあり。
1971年3月1日 タイガース0−2南海 ●吉良
あいにくの雨の中で行われたものの記録では4000人の観客がつめかけています。
注)阪神タイガース昭和のあゆみ では ×大分→○大方 と誤記になっていますので注意が必要です。 |
|
高知市の南部にある宿毛市
1973年3月3日 宿毛 タイガース4−4阪急
この球場は1971年に完成したばかりで、その頃高知でキャンプを張っていたタイガースと阪急がオープン戦を行った。
周囲を堀のような海に囲まれた球場で本球場とサブグラウンドがある。1976年から1982年まで近鉄バファローズのキャンプ地になった。
この航空写真は1975年のものだが、近鉄キャンプ時代に雨天練習場などの施設も整備されている。
|
|
高知ではこの他春野で1991年以降にオープン戦を行っている。
春野では西武ライオンズがキャンプを張っていた。 |
|