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後楽園球場
1937年9月12日から使用されていたプロ野球創世記の球場。
日本プロ野球史に大きな光と影を残した。
首都東京の中軸球場として常にプロ野球の中心に位置し、プロ野球の発展に大きく寄与した。
その反面、両翼78.0m中堅120.8mしかない日本の野球場に例がないほどの極端に狭い球場面積は、それ以降に建設された野球場すべての面積を狭くするほどの影響をあたえた。球場を狭くして得点が入りやすいようにしようとのあまりにも幼稚な発想によっての事だったが少しずつグラウンド面積を増やし、最後には両翼87.6mまで広めた。
王貞治の本塁打世界記録がメジャーに認められないのはこの球場の狭さのためであり、熱戦に水をかけるような馬鹿な設計といえる。
航空写真で見てもいかに両翼が狭いかよくわかることだろう。
両翼87.6 右中間左中間110.1m 中堅120m.8が最終的な大きさだった。
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