キャンプ地になりそこねた町


日本のエーゲ海と呼ばれるリゾート地の牛窓にはクルーザーが停泊する港、オリーブ園、多数のペンションやテニスコートなどが集まっている。小高い山から前島を眺める風景や塩田跡は日本百景に入るとも言われている。

1961年、甲子園を離れて高知球場にて春季キャンプを行ったタイガース。阪神電鉄も球団専用のキャンプ地を建設する計画が立ち上がった。
そこで、まず候補に上がった土地が岡山県邑久郡牛窓町(現在の瀬戸内市牛窓)だった。阪神電鉄は観光開発用途としてこの地に30万坪の土地を手に入れていた。年間の平均気温は16.6℃と温暖で、年間降雨量は1000mmに満たない。この気候を生かして製塩業を営んでいた土地、錦海湾に面した塩田跡には練習場に使えそうな広大な平地がある。プロ野球のキャンプを行うのにも適していると思われた。だが、安芸市の熱心な誘致活動が活発化し、タイガータウンの建設は実現しなかった。

安芸のタイガータウンが完成した1965年12月、牛窓を関西屈指のリゾート地とするべく、阪神電鉄は牛窓観光開発株式会社を設立、本格的に牛窓のリゾート化を進める事となった。資本金5400万円の牛窓観光開発はオリーブ園のレストハウス「オリーブパレス」、国民宿舎「牛窓荘」(後のシープラザ牛窓)などを経営していた。
残念ながら2005年1月11日をもって、牛窓観光開発は解散、オリーブ園は休園となっている。
シープラザ牛窓と名前を変えた後の看板をよく見てみると、うっすらと「阪神電鉄グループ国民宿舎牛窓荘」という文字が浮かんで見えたものです。

さて、阪神電鉄グループの牛窓観光開発がペンション等の不動産販売を仕切り、観光開発に力を注いでいたために、あちこちで阪神電鉄の姿を見ることが出来ます。たとえば、このシキシマバンの店ですが店頭の白い自動販売機は右側の拡大写真の通りで阪神タイガースバージョンの販売機です。
この牛窓では大阪のラジオ放送がすべて入る他、設備と場所によってはサンテレビも受信可能。阪神ファンもとても多い。シープラザ牛窓では岡山出身の八木選手が活躍した日は無料になるキャンペーンもありました。

制定:2005年1月11日

げんまつWEBタイガース歴史研究室