阪神毎日定期戦

毎日オリオンズとの定期戦。当初は阪神の選手を大量引抜きしたオリオンズとの戦いという事で多いに盛り上がった。


阪神毎日定期戦とは

1950年7月1日にセ・パ紛争全面解決が発表されると、7月6日に阪神・野田球団常務、毎日福島球団社長が両球団の定期戦の開催を発表。ポストシーズンの野球が禁止になった1951年、正月大会に代わってオープン戦形式で開催された。

51年1月 8日 阪神勝利
51年1月10日 毎日勝利

翌年の昭和52年から定期戦としてカウントするようになった。
この定期戦は、毎日が大毎・東京と変化していった中で継続されていたが、1960年に開催されなかった理由は謎。また、1967年以降廃止された。開催場所が甲子園であるように、専用のホームグランドを持たなかったオリオンズのオープン戦を確保する事を目的にしていたのかもしれません。
63年にはオリオンズの新しいホームグランド、東京スタジアムを使用しています。

定期戦成績

通算 初日 開催場所 優勝チーム 阪神勝利 毎日勝利 引き分け 備考
第1回 52.3.2 甲子園    
第2回 53.3.7 甲子園    
第3回 54.3.6 甲子園    
第4回 55.3.12 甲子園   13日2試合
第5回 56.3.3 甲子園    
第6回 57.3.2 甲子園    
第7回 58.3.15 甲子園   この年から阪神大毎定期戦
第8回 59.3.21 甲子園    
第9回 61.3.18 甲子園    
第10回 62.3.10 甲子園    
第11回 63.3.30 東京   初の東京開催
第12回 64.3.8 甲子園   この年から阪神東京定期戦
第13回 65.3.20 甲子園    
第14回 66.3.19 甲子園    

通算成績

阪神タイガース 14勝17敗4分

参項 阪急定期戦 南海定期戦


参考文献:
 「阪神タイガース昭和のあゆみ」 ,1991 轄辮_タイガース 
 松木謙治郎 「タイガースの生いたち」, 1973 恒文社
 朝日新聞 縮刷版, 1952〜1966
 毎日新聞 縮刷版, 1952〜1966

げんまつWEBタイガース歴史研究室