タイガース背番号雑学3


背番号02

変な番号の筆頭が93年松永浩美の「02」だ。
移籍の松永が希望した番号「8」はレギュラー選手が着けていたため、高橋慶彦が前年まで着けていた「2」をイヤイヤ着ける事となった。
しかし「2」よっぽど気に入っていなかったのだろう。
打撃好調ながら脚を痛め、さらに6月に肩痛となると、すべては「気に入らない背番号のため」と言う事で、番号の変更を打診。しかし空き番号は「18」と「35」しかなく、2の前に0をつけて「02」とした。大リーグで91年にマーリンズのサンチアゴが「09」をつけた前例があるとは言え、極めて異質な番号だった。サンチアゴは捕手だったため、プロテクターを着けると「9」が隠れるので「09」にしたそうだ。
番号を変更した効果があったのか、残りシーズンは故障をする事もなく、生涯打率を1厘上回る打率.294でシーズンを終えた。
シーズンオフにFAで出ていったので阪神ファンの松永と「02」に対する印象は最悪だった。

最初の例が悪いからでしょうが、これに続く選手はいません。 と思っていたら、下記の吉田豊彦の例があったそうです。

吉田豊彦

私は02年までこの話は知らなかったんです。(HN:01投手さんの情報から)
98年、22人の選手を補強したタイガース、00〜90までの間に空いた背番号はミスタータイガース掛布雅之が着けた「31」以外になかった。23人目の選手としてダイエーから吉田豊彦投手を70人枠ギリギリで獲得した。空き背番号がないので球団は「01」を着けさせる事を思い付いた。
が、「まともな番号にしろ」と連盟からクレームが付いたため、コーチ裏方用の番号だった「91」を着ける事になったそうだ。

背番号00

00は88年、息子ザグリー君の難病のために帰国したバースに代り来日したルパード・ジョーンズが日本球界で始めてつけた番号。
ゼロゼロと言えば92年の亀山の印象が強いが、ジョーンズの頃は「00」でダブルオーと読んだ。
時代の流れと共に、日本球界では俊足選手が着ける番号へと進化したのだが、日本に持ち込んだのはスキンヘッドの怪しげなゼロゼロ超人だった。

背番号151

球団で唯一、奥村幸治打撃投手が着けた番号。
プロ野球選手を夢見ながらオリックスで好打者イチロー相手に打撃投手を勤めていた奥村についたあだ名は「イチローの恋人」だった。
現役の選手になる事を夢見ながら阪神の打撃投手に移籍した奥村はイチローの「51」をもじっての「151」を着ける事となった。翌年西武に打撃投手として移籍した後、プロ生活を断念した。

背番号を変えるのが好きなおせっかい監督

自分自身は永久欠番「11」しか着けた事のない村山監督だが、人の背番号を変えるのは大好きだったらしい。
監督就任1年目には期待する野田征・後藤和を一桁の背番号に変更。川藤も背番号4に変更し2年目の植木は5番を没収。
監督2年目にも池田純一と佐藤を昇格させた。

2度目の監督時代には14だった八木を長嶋茂雄の背番号「3」に変更させ、仲田幸司は金田正一の「34」にした。アンチ巨人の代表格のような村山実からすればまったく面白くもない変更理由だが。
少年隊の中野・大野も若い背番号に変更。
可哀相なのは真鍋で実績がないのに期待されて伊藤から剥奪した「20」を着けさせられ、1年間活躍が出来なければ「55」に戻された。番号で縁起を担ぐのだが、少しやりすぎなようで。
ちなみにA型の監督ほど、背番号のゲンかつぎが好きなようです。

「ブタ」好き監督

野村克也監督
南海での現役時代は背番号「19」、ヤクルト監督では「73」   足してブタ(10)になる数字にこだわった。
タイガース移籍後は「82」を着けていた吉竹コーチを「76」に変えて、「82」を着ける。2年連続最下位となるや、ヤクルト時代の「73」を着けるために、長嶋コーチを「85」に変更し「73」を着ける。監督と言うのはわがままです。

監督は77

野村が後継者に指名したのは前中日監督の星野仙一。
星野の中日監督時代の背番号は「77」だった。中日では「77」をつけて初優勝したので、タイガースでも「77」をつける事になった。もちろん神戸ナンバーの監督専用車(ベンツ)も「77」を含んだ番号になっています。
星野が連れていた首脳陣は島野ヘッドと田淵チーフ。島野は監督の後に続く「78」を、田淵は監督と同じゾロ目の「88」をつけた。ここに星野首脳陣が完成した。

背番号変更王

選手登録されている事、コーチや裏方 途中退団を除きますと、3回変更が最多です。

小山正明 49→6→14→47
白坂長栄 27→26→17→1
若林忠志 18→30→18→30
安居玉一 31→11→14→15
金田正秦 28→7→21→7
中島広喜 51→2→56→45
古沢憲司 71→43→25→51
奥田敏輝 30→13→32→48
浜中治 66→25→31→5

語呂合わせ

29番 福家雅明「フク」
40番 塩谷和彦「シオ」
92番 藤川球児「キュージ」

37番 三東洋 3 に 3+7=10で 「サントウ」

92番 久慈コーチ 「クジ」

お店の名前

日本シリーズでも投げた佐藤秀明という投手を覚えていますか。背番号「24」を着けて4年だけ阪神に在籍、近鉄に移籍した左投手です。85年は数多くの中継ぎ登板をこなしました。
近鉄を引退後、甲子園球場の近くに焼肉屋を開店しました。その店の名前が「こうしえん24」でした。わずか4年のタイガース生活をここまで大切にしているのだと思った次第です。

このようなこだわりをした例は、村山実氏の「マンション11」もあります。

車のナンバー

プライベートな事なので一覧表にして書く訳にはいきませんが、例えば誰でも知っている例で言いますと今岡選手のベンツのナンバーは「・・・7」です。我々は「7号車」と呼んでいます。
「×号車」は他にも色々あります。
ナンバープレート選択制になってからは幾らかの選手が自分の背番号を車のナンバーにするのを見ます。詳しく知りたい人は、試合終了後に甲子園の駐車場出口に張り込むか、練習の時に鳴尾浜の駐車場出口に張り込んでチェックしてみて下さい。

幻の背番号

タイガースで言う幻の背番号はこの3つでしょうかね。
49年 22番 江藤正
56年 41番 米田哲也
79年 3番 江川卓

この章を参照してください。
江川はわがままを通して巨人に移籍する訳ですが、巨人では絶対につけれない(永久欠番)背番号3で登録した事が、嫌味で面白いでしょう。


改訂 2008.5.1
改訂 2009.2.28

げんまつWEBタイガース歴史研究室