タイガースOB 西村幸生の母校、宇治山田中学は戦災で消失し、その跡地が市営山田球場になった。
市営球場は後に倉田山に移動し、旧球場跡地には市立総合病院が建てられた。現在は病院も移転し住宅地である。
この球場では戦後まもなく「西村幸生・沢村栄治追悼記念試合」のオープン戦が実施された。試合翌日の朝日新聞に記録があった。
1948年3月30日 タイガース12−12巨人
三重県での最初のタイガースの公式試合は1948年のダブルヘッダーだ。
1948年8月31日 タイガース7−6中日 勝 御園生 敗 服部 本塁打 藤村3号
1948年8月31日 タイガース7−4中日 勝 若林 敗 久野
1948年10月19日 タイガース4−3中日 勝 若林 敗 近藤
1948年10月20日 タイガース3−4大陽 敗 梶岡 勝 木下
1949年5月13日 タイガース8−13大映 敗 藤村隆 勝 木場 本塁打 藤村富10号 後藤1号 金田2号
場所は船江町1丁目 倉田山球場完成後撤去 現在住宅 写真は病院時代
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1949年は宇治山田の他に三重県内でもう1試合試合が開催された。富洲原球場。
富田一色村・天ケ須賀村・松原村の3村が合併して出来た村は、各村から1文字ずつとって富洲原村となった。1941年に合併して四日市市の一部となりました。現在、常用漢字を適用して富州原と書きますが、それは1965年からの事なので当サイトでは富洲原と表記します。
1949年5月28日 富洲原球場
タイガース7−9中日 敗 内山 勝 服部 本塁打 藤村富13号
そもそも近畿日本鉄道の経営していた球場らしく、近鉄富洲原球場と呼ばれていたようです。
この球場も現存しないのですが、その跡地は近鉄富州原駅前にあるマックスバリュ・サンリバー店などがある一角です。1975年の航空写真で跡地は赤丸の駐車場と青灰色の屋根の建物がある部分です。
富州原は高校野球の秋季大会の記録にも登場しますので1946年にはすでに存在する事が確認できます。
その後1950年に四日市市の北浜の市営球場が完成すると野球の試合は北浜で開催されるようになりました。
四日市市では1987年にファームの試合が行われましたが、これは霞ヶ浦の球場です。
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次に三重県で試合が開催されたのは県庁所在地の津市の津球場です。
1952年4月16日
タイガース3−2名古屋 勝 藤村隆 敗 杉下 本塁打 藤村富2号
津球場は6試合の公式戦を行いました。
この中で最も古いのが中日主催で開催された1952年の試合のようで、この試合がセ・リーグ唯一の津での試合でした。当時はまだ周辺の公園が完成しておらず1959年に津球場公園が完成しました。
1952年頃までは三重県内でたびたびセ・リーグの試合が開催されていましたが、三重が近鉄パールズの準本拠地となったためか、本拠地の近い中日ドラゴンズも含めてセ・リーグの試合が見られなくなりました。
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松阪市営球場は1949年に完成しました。
松阪の駅前、殿町にあり、プロ野球では近鉄戦を中心に9試合ほど公式戦が行われています。松阪城跡の松阪公園にあります。古い球場と言うのは、実に城のまわりに作られることが多いものだと思います。
オープン戦
1949年1月10日タイガース3−3南海 球場開場
1961年4月2日 タイガース4−0近鉄 勝 石川良 敗 ポトラ
立野の運動公園に75年県営球場が完成したため、この球場では大きな大会が開かれることはなくなり、もっぱらアマチュアの試合や草野球に使われているようです。
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宇治山田市は1955年に合併し伊勢市に名前が変わりました。
1962年に伊勢市営の倉田山公園球場が完成し、タイガースは1971年にオープン戦を行っています。
1971年3月28日 オープン戦
タイガース2−1近鉄 勝 上田二 敗 神部 本塁打 カークランド
試合から3年後の1975年、球場前にに西村幸生の胸像が設置されました。向かいにはライバルだった沢村栄治の像もあります。 |
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名張市では名張市民球場にてオープン戦を行ったことがあります。
名張市営球場完成直後に実施したのですが、この1974年の航空写真ではまだ基礎工事中です。
1978.3.23 オープン戦
タイガース0−10近鉄 敗 新井 勝 井本
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