西九条

人工河川 安治川によって分断された九条地区の西側の部分を西九条と呼びます。


阪神電車には尼崎から西九条方面に分岐する西大阪線という支線がある。
この路線は伝法線として計画されたもので、尼崎から伝法を経由して野田・梅田に向かう路線で、西九条に駅が出来る計画ではなかった。大正13年1月に大物−伝法が開通、8月に千鳥橋までが開通しました。
1946年、野田から阪神電車を近鉄奈良線へ接続させる大阪高速鉄道計画があったのですが、大阪市が反対し頓挫。そして1964年に尼崎から難波を結ぶ西大阪線として千鳥橋−西九条間が開通しましたが、九条地区の反対運動から一次工事の西九条までで工事は中断しました。しかし、2001年工事再開され、いよいよ難波へつながる事になります。

西九条駅は曲がっています。もちろん難波につなげるために、その路線にあわせて曲がっています。難波方面ホームに使用するはずの2番線は立ち入り禁止で、真っ白に埃がたまっている状態です。
西大阪線は環状線の高架の上をオーバークロスするように計画されているため、このホームは地上5階の高さに位置し、外を眺めると非常に高い気がします。現在は6両編成がギリギリの長さのホームですが、延伸されればおそらく環状線の上方にまでホームが延びるものと予想されます。
試合のある日には微妙にトラのユニフォームを着た人たちがこのホームから乗り降りします。おそらく、難波に接続された頃には、奈良から甲子園への客の大量輸送が見られるようになるでしょう。

西九条高架下は阪神電鉄の賃貸物件となっています。パチンコ西九条ホール・携帯ショップ・うどん屋・居酒屋など、1・2階部分はテナントが入居しています。裏に回ると駐車場で空洞になっていて、なにやらハリボテな印象も受けます。
西九条からは重工業地区の桜島へJRの支線が出ていて、労働のイメージが似合う雰囲気があります。環状線の下にも「OK18番街」や「トンネル横丁」など、管理人好みの街が開けていて、ちょっと一杯飲むにもいい町です。
あまり阪神タイガースっぽい雰囲気はありませんが、それでも阪神が勝った日には「よかったよかった」と喜ぶ客がたくさん居り、また宿敵読売ファンもそこそこ人数が居り。 まあ、大阪の労働者の街とという感じです。
決して、ユニバーサルスタジオに近い駅、という気はしません。

げんまつWEBタイガース歴史研究室