球団呼称の変遷

球団名の変遷について本当の理由を知っていますか?
新聞と資料から考えた私の考察です。大阪タイガースから阪神タイガースへの改称を電鉄のエゴと考えず、本当の意味を知って欲しい。


<球団名の流れ>

月日球団名備考
1936年1月10日大阪タイガース球団創設時に一般公募で
1940年9月8日阪~戦時下の日本語化による
1946年3月24日大阪タイガース戦後、元の名称に戻す
1961年4月1日阪神タイガース社名変更

<戦時中はなぜ阪神と名乗ったのか>

「東京巨人」に対してつけられた最初の球団名が「大阪タイガース」、素晴らしい名前でした。
1940年に「タイガー」が敵性語と指摘されて「阪神」と名を変えました。球団の通称が「大阪」ではなく「阪神」だったためです。

職業野球リーグが発足した時の7球団の名前を今一度思い出して欲しい。(参考 タイガース史研究9

7球団の中で唯一、企業名を名乗るチームがありました。それは阪神電鉄の永遠のライバル、大阪阪急野球協会「阪急」でした。阪急が「大阪ブレーブス」あるいは「宝塚ブレーブス」などの地域名ではなく「阪急軍」としたのは、球団経営を出し抜かれ、先に「大阪タイガース」と名乗られてしまった阪神に対する意地でしょう。もしもこの時、阪急が企業名を冠しなければ、日本のプロ野球界は地域名と愛称だけでチーム名が着けられるようになっていたののではなかっただろうか。

1937年に「南海」が誕生し、そして大東京は田村駒次郎がスポンサーを募って「ライオン」と名をつけた。
「ライオン」はチームの親会社ではなくスポンサーです。ネーミングライツのさきがけです。

親会社がライバル関係にあった事もあり、タイガースと阪急軍は定期的な対抗試合阪神阪急定期戦を行う事にしました。
第1回対抗戦は「第1回タイガース−阪急BK杯争奪定期戦」と称しました。どちらも大阪のチームだけに、「大阪−阪急」とはできず「タイガース−阪急」とになったのでしょうが、カタカナと漢字のチーム名で非常にアンバランスな名前でした。
それもあってか人々の間では「阪神阪急戦」と呼ばれていたようです。そして正式な名称も「阪神阪急定期戦」に変わっていきました。

南海が誕生してから開かれた1939年の三電鐵リーグ戦では「阪急」「阪神」「南海」でした。そのような背景で通称が大阪タイガースは通称「阪神」が定着していったのです。

<朝日新聞上での呼称の変更>

1936年〜 「タイガース」 または「タ軍」
1940年〜 「阪~」
1946年  3月24日〜 「タイガース」 または 「タ軍」
       5月10日〜 「阪~」
       5月16日〜 「猛虎」
1947年〜 「阪神」 または 「大阪」
1961年〜 「阪神」に統一

戦後、一旦「猛虎」が通称になったようです。では何故「猛虎」から「阪神」になったのか。
週刊ベースボール2001年41号に掲載されている綱島理友さんのユニフォーム物語125回には、「スポーツ記者達が猛虎を使い出したが 球団が電鉄名の阪神と名乗りたがったので....」と書かれている。これは朝日新聞の1946年5月16日「チーム側の希望によって〜」という記事に矛盾する。以下に示す。

1946年5月11日朝日新聞紙面より
    職業野球のチームの新聞雑誌の記録は今後、次の呼称を用ひる事となった
    タイガース「阪~」 グレートリング「近畿」 パシフィック「朝日」 ゴールドスタア「金星」 

1946年5月16日 朝日新聞紙面より 
    職業チームの新聞に用ひるチーム名中
    チーム側の希望によって次の三つが改正され、来る16日から使用される
    タイガース「猛虎」 セネタース「踏」 パシフィック「太平」

この記事によると「阪神」から「猛虎」への変更は球団の希望によるものという事になります。

46年5月にチームの希望で一度「猛虎」に戻したものの、新聞雑誌側の希望で再び「阪~」になったのでした。
球団はタイガースなのだから、略称を「猛虎」にしたかったようですが、阪神という通称の方が一般的だったのです。

<阪神ジャガースと名乗った真の意味>

1950年代に大阪タイガースの2軍が誕生し、1954年から「阪神ジャガース」と名乗りました。これは阪神電鉄から阪神をつけたという単純な発想ではないのです。

阪神ジャガース
1954年〜1955年 新日本リーグに所属した大阪タイガースの二軍チーム 
1955年〜1956年 ウエスタンリーグの二軍チームも同一の名前を使用する

阪神ジャガースの本拠地を知っていれば、その名前の意味は自ずと解かるはずです。
新日本リーグの各チームは1軍チームと異なる地方都市に所属チームの本拠地を置いた。タイガース2軍の本拠地は神戸市となり、ホームグランドは西代の神戸市民球場でした。

阪神ファンで有名な大谷教授の著書「大阪学」によれば、戦前までの大阪という地域は現在の大阪府と異なり、河内を含まない代わりに尼崎・西宮・神戸市灘区までを指していました。ですから西宮市にある甲子園は「大阪タイガース」でよかったのです。
だが、神戸市民球場は神戸市の西側、長田区にあります。灘より西は大阪ではなく神戸、神戸が本拠地だから、当初「大阪ジャガース」で提案されていた二軍チームの名称は「阪神ジャガース」に変更されたのです。神戸市民の市民感情を考えれば簡単な話です。

<阪神タイガースに改称した真の意味>

阪神タイガースの「阪神」は、単なる電鉄会社の名称ではありません。

野田誠三オーナーは「阪神タイガース」へ改名する発表の壇上で「阪神ファンは神戸にもいる。大阪よりもっと広い意味での大阪神戸の阪神とした」と語りました。その7年前のジャガースの時にも「大阪か神戸か」で、こだわった経緯があります。
私は兵庫県民ですが、やはり兵庫県民としては「大阪タイガース」では嫌なので、野田オーナーの考え方がよくわかります。

当時の報道では「わざわざ企業名を冠して、阪神電鉄はせこいんとちゃうか?」という風潮でした。関西の新聞やテレビなどは大阪に本社がある。大阪人が「大阪タイガース」という名前を惜しむ気持ちはよくわかる。
ところが、当時のフロント・阪神電鉄役員・選手ら 大阪タイガースの関係者は、ほとんどが阪神沿線在住で大阪府下に住んでいない。阪神地区に住む人間の気持ちが球団名変更の背景にあったと思います。ちなみに野田オーナーは姫路出身です。

改名の当時、ヘッドコーチだった青田昇氏も兵庫県出身です。
著書の中で「12球団の中で企業の名前を名乗っていないのは阪神だけだ。あれは電鉄の名前ではない。大阪と神戸の阪神なのだ」と、語っていました。兵庫県出身者だから、大阪タイガースから阪神タイガースと変えた意味がよく理解できたと思います。
幅広い野球興行を展開するには、広い意味での「阪神タイガース」という改称が必要だったのです。阪神は大阪と神戸なのです。

大阪と神戸と西宮

関西の経済の中心はあくまでも大阪でしょう。

大阪市内からの移住者で住民が増加した西宮地区は兵庫県西宮市となった。
この地区は大阪府下に対して、まったく別の文化とプライドがあります。神戸市が灘地区を吸い込んで広くなり、阪神間の町村がすべて市政をとって以降、この地区は大阪の属地区ではなくなりました。「大阪タイガース」と名乗る事が難しくなりました。
この地域の名は「阪神地区」
阪神工業地帯、阪神大震災、阪神支部、阪神支社、阪神営業所、阪神銀行、新聞の地域版は阪神版、阪神国道、阪神電車。阪神は兵庫でも大阪でもないこの地域の地名です。

阪神から更に西、国際港湾都市「神戸」は「大阪」とはまったく異なります。

改名以降のタイガース人気は上昇し、観客動員に大きく影響しました。兵庫のローカル局「サンテレビ」は地元球団「阪神タイガース」の完全中継を行い、テレビファンを拡大しました。大阪タイガースは本当の意味で阪神タイガースに生まれ変わりました。
現在、全国に2千万人と言われている阪神ファン、名称が「大阪タイガース」だったならば全員がファンになっていたでしょうか? 大阪の町には今でも「大阪タイガース」への呼称変更を要望するファンが多数います。私はそれは絶対にあってはならない事だと思います。


げんまつWEBタイガース歴史研究室