岡山のタイガース遠征史


岡山県で最初にタイガースが試合を行った場所は玉野市。
三井造船玉野の造船所の西側に小さなグラウンドがある。三井グラウンド
ここに西宮で阪急定期戦を行った後、阪急と遠征した。

1946年12月15日 オープン戦 タイガース1−2阪急(延長10回)

前座試合では阪神・阪急連合軍対全玉野の試合が行われた。この試合には後にタイガースに入団する奥井成一が全玉野で出場していた。

1948年2月26日南海オープン戦もここで開催された。
翌年3月に、阪急と岡山市関西中学球場にてオープン戦を行った。現在の関西高校の校庭です。

1947年3月27日 タイガース5−1阪急  勝 梶岡  敗 森

1948年12月14日の南海オープン戦、1949年3月2日の巨人オープン戦もここで行われた。
備前三門の関西高校の校庭がそれ。(関西高校の野球部グラウンドとは異なる。)
岡山県に本格的な球場が最初に出来たのは倉敷市の倉敷市営球場で1949年の球場開きは阪神戦。1950年は田宮が9回2死までパーフェクト試合を行っている。

1949年5月20日 タイガース1−3東急  敗 梶岡  勝 黒尾
1950年3月16日 タイガース7−0国鉄  勝 田宮  敗 高橋
1951年8月21日 タイガース8−6松竹  勝 内山  敗 江田
1953年10月11日 2試合
            タイガース4−0広島  勝 駒田  敗 長谷川
            タイガース11−7広島  勝 藤村隆  敗 太田垣
                           本塁打 三宅秀1号

1950年には西大寺町営球場でも公式戦が行われた。

1950年4月18日 西大寺町営球場 タイガース6−14中日
       敗 梶岡  勝 宮下  本塁打 河西1号 後藤7・8号 白坂2号

現在は岡山市に併合された西大寺市。
球場というよりもグラウンドで、野球を開催する時に木製のフェンスや観客席を取り付けたようだ。そのフェンスを越えて両軍あわせて11発の本塁打が場外に消えた。
国鉄西大寺駅から徒歩10分。西大寺市の中心部、向州にあって現在は向州公園や図書館になっている場所。 ブログ
県北の津山でもタイガースの試合が開催されている。1950年の試合は場所不明ですが津山高校でしょう。
1950年12月5日 阪神8−21中日

1970年に完成したばかりの津山市営球場ではオープン戦を行っている。
1971年3月30日 津山市営球場 タイガース1−4阪急  

岡山県では1951年に岡山市の運動公園に岡山県野球場が完成し、山陽新聞社と岡山日日新聞の主催で阪神戦を関西並みに実施している。岡山県野球場は老朽化が進み、1995年から倉敷マスカットスタジアムを使用している。

ウエスタンリーグでは 90年代になりわ運動公園野球場、玉野市民総合運動公園を使用して試合を行った。

改訂1: 2012年3月31日
改訂2: 2012年6月16日

参考文献
 阪神タイガース 昭和のあゆみ
 朝日新聞
 合同新聞・山陽新聞
 岡山日日新聞

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

げんまつWEBタイガース歴史研究室